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広島地方裁判所 昭和62年(ワ)1112号 判決 1989年9月26日

原告 石川秀次

右訴訟代理人弁護士 坂本宏一

同 阿左美信義

同 佐々木猛也

同 津村健太郎

被告 中国ピアノ運送株式会社

右代表者代表取締役 小川卓次

右訴訟代理人弁護士 中尾正士

右訴訟復代理人弁護士 中丸正三

主文

一  被告は、原告に対し、金一一三五万〇三八八円及びこれに対する昭和六二年九月二二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを三分し、その一を原告の負担とし、その余は被告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、二〇〇〇万円及びこれに対する昭和六二年九月二二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  1項について仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  (雇用関係)

(一) 被告は、ピアノ運送を主とする運送業務を営むものであり、昭和五一年二月横山梱包株式会社など三社が合併して設立された株式会社である。

(二) 原告は、昭和四九年頃、横山梱包株式会社に雇用され、被告が設立された後は引き続き被告において、ピアノ運送の業務に従事してきたものである。

2  (原告の従事する業務)

(一) 超重量物であるピアノをわずか二、三人で人力搬送する作業は重激労務の最たるものであり、原告が従事していたピアノ搬送業務は、必然的に従事者の腰椎に過大な負担をかける非人間的な労働であり、次のような勤務態様を継続すると、不可避的に重篤な障害をもたらすものである。

(二) 原告は、横山梱包株式会社に入社して以来、被告が設立された後も、概ね次のような内容のピアノ運送の業務に従事してきた。

(1) 勤務時間 午前八時三〇分から午後五時三〇分まで

(2) ピアノ搬送内容 一台二二〇ないし三〇〇キログラムのピアノを二、三人で引越し前の据付位置から、転居先の据付位置まで搬送する。車への搬入、車から搬出して転居先へ設定するまでの間、原告らは、肩にベルトをかけ、二、三人の人力で重量物であるピアノを移動させる。

(3) ピアノ搬送台数 一日当たり二、三台から十四、五台。平均で六、七台

3  (原告の症状の経過)

(一) 原告は、昭和五四年頃から腰痛を訴えるようになり、加藤病院に通院した。

(二) 昭和五七年三月には腰痛がひどくなり、木村整形外科に通院するようになった。病名は、腰椎捻挫、椎間板ヘルニアである。断続的に腰に激痛が発生し、勤務しながら週二回程度通院した。

(三) 昭和六〇年一月一七日には、腰の激痛のため、歩行すら困難となり、翌一八日から休職して通院治療を行うようになった。同月二二日から友和クリニックに転医し、週三回のペースで通院治療を続けて現在に至る。

4  (傷害及び後遺症)

(一) 傷害 腰椎捻挫による腰椎ヘルニア

(二) 後遺症 右傷害により下半身の不全麻痺の状態となり、腰痛、左下肢の痛み、脊椎運動制限のため、長時間歩行、走行、階段の昇降が困難であり、また、重量物の運搬は極度に制限されるため、一般事務系の軽作業以外は就労不可能である。右の症状は、昭和六二年八月三日頃には固定し、自賠法施行令後遺障害等級表の七級四号に該当する。

5  (被告の責任)

(一) 被告におけるピアノ運送の仕事は、対象物の重量が余りにも大きく、運搬時の姿勢等に十分留意しても、なお腰痛の発生する職種であり、一日平均六、七台、繁忙期には一日平均十五、六台という仕事量は過重である。したがって、少なくとも半分程度に仕事量を減らして、適切な健康診断等と組み合わせて、腰部捻挫の段階、すなわち筋肉性の腰痛の段階で医師の治療を受けさせるべきである。

このような配慮は、労働省の通達によってもなされている。すなわち、右通達では、省力化に関する努力義務の外に、仕事時間、取扱量の適正化、定期の腰痛等に関する健康診断、それを受けての職種変更等の適切な措置などが義務づけられているところである。

(二) しかし、被告は、原告ら従業員からの増員要求、職種の変更の申入れ等に誠実に応じることなく、腰痛に関する原告ら作業員に対する定期の健康診断も全く行わず、多くの従業員が腰痛に苦しみ、作業が困難になると、会社から排除するという対応に終始してきた。

(三) このような被告の対応によって、原告は、適切な時期に必要な治療を受ける機会を奪われ、三度にわたり腰部捻挫を繰り返し、腰部ヘルニア、更には変形性腰椎症にまで症状が進展し、下半身の不全麻痺によって、軽作業以外には就労不能な状態にまで立ち至った。

(四) 被告が、労働省通達を遵守し、定期的な健康診断や、その結果を受けての適切な治療の機会の確保、作業量、作業時間の軽減、職種の変更等の措置を取っておれば、原告が現在のような重篤な後遺障害に苦しむことはなかったのであり、原告の障害は、営利採算にのみ走り、原告ら従業員の健康管理を全く切り捨ててきた被告の行為に起因するものであることは明らかであり、被告は、原告に対し、労働契約上の債務不履行責任に基づき、また、不法行為責任に基づき、原告の被った損害の賠償義務を負うものである。

6  (損害)

(一) 逸失利益 二三五五万三八四四円

原告の現在の症状は回復不可能なものとして固定したと考えられる。原告は、現在五二歳で、その就労可能年数は一五年であるところ、被告での就労に起因して前記後遺症を残し、労働能力を五六パーセント喪失した。昭和五九年七月から同年一二月までの給与は合計で一五六万七一九九円、同年一二月の賞与は三四万七九四七円であり、右両者合計は一九一万五一四六円である。賞与は夏冬同額の支給を受けていたから、右金額を六で除して原告の一か月当たりの収入を求めると、三一万九一九一円となる。これを基礎としてホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して逸失利益を計算すると、二三五五万三八四四円となる。

(算式)

三一万九一九一円×一二×〇・五六×一〇・九八一=二三五五万三八四四円

(二) 慰藉料 一〇〇〇万円

原告は、前記障害のため、腰痛、左下肢の痛みによって日常生活を満足に送れない状態になり、昭和六〇年一月から現在まで週三回程度の通院治療を余儀なくされ、また、前述のとおり、後遺障害等級表七級の後遺障害が残り、特に軽易な労働以外には就労できない状態である。この原告の現状を見れば、その精神的、肉体的苦痛を慰藉するには、一〇〇〇万円をもって相当とする。

7  (結論)

よって、原告は、被告に対し、債務不履行又は不法行為による損害賠償請求権に基づき(これを選択的に主張する。)、三三五五万三八四四円の損害賠償債権を有するところ、右のうち二〇〇〇万円及びこれに対する不法行為後であり、訴状送達の日の翌日である昭和六二年九月二二日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の(一)及び(二)の各事実は認める。ただし、原告は、昭和五四年一月以降、クレーン車のオペレーター専従であった。

2  同2の(一)のうち、原告が従事した作業が重量物の搬送であることは認め、その余は争う。同2の(二)の事実は認める。ただし、昭和五四年一月以降、原告はクレーン車のオペレーター専従であった。

ピアノ搬送の作業は、搬送元の家屋の据付場所から搬送先の家屋の据付場所まで運ぶもので、細かく分けると、家屋の据付場所から玄関まで、玄関から玄関前路上のトラックまで、トラックへの荷揚げ、搬送元の玄関から搬送先の玄関前まで、トラックからの荷下げ、搬送先玄関前のトラックから玄関まで、玄関から据付場所までと分けて考えられ、その方法は次のとおりである。すなわち、

(一) 据付場所から玄関まで及び玄関から据付場所まで

直線の場所はピアノの下にコロを入れて動かす。L字形廊下等のコロが使えない部分は、ピアノにベルトをかけて二人以上で担ぐ。

二階以上の場合は、クレーン車(四・八トン)が同行し、クレーン車でベランダや窓から搬出入する。クレーン車は七階まで届く。車両が入れなくてクレーン車が使えない場所は、地上から二階まで鉄柱を渡し、その上を機械(チルホール)でピアノを滑らせて搬出入する。また、三階以上のビルでクレーン車が使えない場合は、屋上から建物の壁面に沿って機械でピアノを吊り上げて搬出入する。右のような方法で搬出入できない場合にのみ、ピアノを分解して(上前板、鍵盤蓋、下前板、アクション)ベルトを掛けて階段から搬出入する。

(二) 玄関から玄関前路上トラックまで及びトラックから玄関まで

玄関から路上まで平地であれば小さな車輪が四個ついた運搬機(ジープ)の上にピアノを乗せて運ぶ。飛石等不整地でジープが使用できない場合は、ピアノにベルトを掛けて人力で搬出入する。

(三) トラックへの荷揚げ及びトラックからの荷卸し

トラックの荷台後部に設置されている機械(パワーゲート)でピアノを路上とトラック荷台との間で揚げ下げする。

(四) 搬送元の玄関から搬送先の玄関前路上まで

トラックにより搬送する。

3  同3の(一)ないし(三)の各事実は知らない。

4  同4の(一)及び(二)の各事実は知らない。

5  同5の(一)ないし(四)の事実はいずれも争う。

被告は、ピアノ搬送の機械化を進める一方、原告に対しては、腰痛を完全に治してから仕事に戻るように指導しており、原告の主張するように、適切な治療を受ける機会を奪ったことはない。

仮に、被告に過失があるとしても、原告の後遺症の発生には、原告の年齢等の要因も加わっているから、被告の仕事に従事したことと原告の症状の発生との間には全面的な因果関係は存しない。

6  同6の(一)及び(二)の各事実は知らない。

7  同7は争う。

三  被告の主張(過失相殺)

1  原告は、昭和五四年一月以降、クレーン車のオペレーター専従としてクレーンでピアノを吊り上げる仕事に従事していたのであるから、腰椎ヘルニアで腰痛があるのであれば、ピアノ運搬の誘導の仕事をすれば良いのであって、担ぐ必要はなかった。しかし、原告は運搬現場で自らピアノを担いだ。

また、被告は、原告に対し、腰痛を完全に治してから仕事に戻るように指導していたのに、原告は、その指導に背き完全に治っていない状態で職場に復帰した。

2  原告にも、右1の過失があるので、損害額の算定に当たって過失相殺されるべきである。

四  被告の主張に対する認否

被告の主張事実はいずれも否認する。

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因1の(一)及び(二)の各事実は、当事者間に争いがない。

ただし、《証拠省略》によれば、原告は、昭和五十四、五年頃以降(ただし、昭和五六年から昭和五八年までの約二年間は除く。)は、クレーン車のオペレーター専従であったことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

二  請求原因2の(二)の事実は、当事者間に争いがない。

ただし《証拠省略》を総合すると、

1  原告が運搬するピアノのうち多くは竪型(アップライト)ピアノであるが、竪型ピアノは平均して一台約二三〇キログラムの重量があること、竪型ピアノの運搬は、人力で運搬するときは、原則として二人一組で行い、肩にベルトを掛け、ベルトのもう一方をピアノのキャスターに引っ掛けてピアノを持ち上げて運搬すること、竪型ピアノを二人で担ぐときは、呼吸を合わせ気合いを入れて持ち上げることが必要で、持ち上げたときは一気に一〇メートル余りの距離を運ぶこと、それは、途中で休んだりすると、再度持ち上げるときすごく力がいるので逆に疲れることになるからであること、一日当たりのピアノの運搬台数が二、三台というのはたまにある程度であり、また、一日当たりの運搬台数が十四、五台というのは三月二〇日頃から四月一〇日頃までの引越しの季節に集中していること、被告においては、ピアノ運送の手配は、配車係が行っているが、配車係は、運ぶ台数とか場所を考えて配車し、毎朝、従業員に対し配車表を交付してその日の仕事を指示していること、そして、実際には、現場の状況が配車係が考えていたものと異なる場合があるので、絶えず配車係と現場従業員とが連絡を取り合って、応援を出すとか、融通がきくときはその作業を後日に回すとかして作業をこなす建前にしていること、

2  引越しに伴うピアノ搬送作業の順序は被告主張のとおり分けられること、しかし、被告主張の(一)の段階について見ると、家屋の中でピアノを運搬するときには、直線の場合でも、コロ(直径約七センチメートルの丸い棒)をピアノの下に入れて動かすということは殆どないこと、その理由は、コロを使うと時間がかかるし、畳や木の廊下の上でコロを使うと、畳がよじれたり、木の廊下もメキメキと音を立てたりし、バランスを崩すとキャスターで家を傷めたりするからであること、コロを利用するのは、据置場所にピアノを設置するとき、ほんの僅かだけピアノを動かすというような場合に限られていること、そして、家屋の中でピアノを運搬するときは、殆ど一〇〇パーセント人力で行うこと、二階以上に搬出入する場合は三人一組(そのうち一人がチーフである。)で作業するところ、ピアノをどういう形で搬出入するのが最も良いかの判断が難しい場合は三人で相談して決めるが、大体はチーフが決めること、クレーンで吊り上げられるかどうかはクレーン車のオペレーターが判断すること、階上作業には、クレーン車を用いるけれども、作業現場に赴いてみると、クレーン車が使えない場合も相当あること、クレーン車が使える場合はクレーンを使うけれども、そうでない場合は、被告主張のように二階の場合はチルホールを利用したり、また、三階以上の場合は屋上から建物の壁面に沿って機械で吊り上げたりするというような方法は滅多に用いず、人力で階段を利用して運搬すること、その理由は、チルホールを使うと、人力で運ぶ場合の三、四倍の時間がかかることになり、とりわけ、その設置までに相当の時間がかかり、(現場によって異なるけれども、一時間以上かかる場合が多い。)、被告の配車係が組んでいる配車計画(普通、チルホールを使うだけの時間を組み込んでいない。)に従うと、後の客に迷惑がかかるだけでなく、当日分として配車された仕事をやり残すことにもなりかねないからであること、したがって、現実の運搬方法は、まず、クレーン車が使える場合はクレーンを用い、次いで、人力で階段を利用して運搬し、クレーン車も階段も使えないときにチルホールを使うといったものであること、普通の階段の場合は、人力で運搬するときも、ピアノを分解したりはせず(分解すると、ピアノの線を叩く部分が壊れることがあるし、時間もかかるからである。)、階段が急でピアノが普通よりも重くて仕事がきついときは、相談の上分解することもあったこと、被告主張の(二)の段階については、運搬方法は被告主張のとおりであるが、玄関までがアスファルト舗装された平坦な道であれば、ジープを使うことができるけれども、一軒家では庭があったりすると使えないことが多いこと、被告主張の(三)の段階については、トラック荷台にパワーゲートが設置されていれば、被告主張のとおりであり、原告も、パワーゲートが設備されているトラックを利用した時は被告主張のとおりしたが、原告がそのようなトラックを利用する機会は極少なかったこと、被告主張の(四)の段階は、そのとおりであること、

3  原告は、昭和五十四、五年頃から、クレーン車のオペレーター専従であったが、三人一組で仕事をしている者が殆ど腰が悪いため、原告はオペレーター専従であるからピアノの人力での運搬には関係ないというものではなく、クレーンでピアノを吊り上げてベランダに運んだのち、ある程度離れた据付場所まで運ぶ必要があるときは、クレーンの運転をする外、運転が終わると直ちに上がって行き、三人のうち二人で交代して担いだり、誘導したりしていたこと、クレーンを使わずに階段を利用して人力で運ぶ場合、三人のうち二人が担ぎ、他の一人は後押しをするが、その場合でも、クレーン車のオペレーター専従も交代で担ぐこと、そのような場合、誰が誘導して誰が担ぐかは、三人で決めるというよりも、その場で自然に決まっていたこと、

4  原告が昭和四十八、九年頃、横山梱包株式会社に雇用される前は、貿易関係の仕事や飲食店の経営をやっており、重い物を運搬するような仕事には従事していなかったこと

が認められ(る。)《証拠判断省略》

そして、《証拠省略》を総合すると、超重量物である平均二三〇キログラムのピアノを二人で人力運搬する作業は、重激労務の典型的なものであり、従事者の腰部に過度の負担のかかる業務であって、そのような業務に相当期間継続して従事すると、作業姿勢等に十分留意しても腰痛が発生する蓋然性が非常に高いものであることが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

三  請求原因3について検討するのに、《証拠省略》を総合すると、原告は、昭和四十八、九年頃から前述したとおりのピアノ運送の仕事に継続して従事してきたところ、昭和五四年頃、ピアノを担いでいる時、突然、腰に針を束ねて刺すような痛みが走り、その場に坐り込んだことがあったこと、その時は、しばらく休憩すると、その痛みも針がぐうっと抜けるように消えていったこと、そのため、原告は、腰痛を訴えて高陽町の加藤病院で診察を受け、同病院に通院しながら仕事を継続していたこと、その後、廿日市に転居したので、木村整形外科に転医し、同外科では、腰椎捻挫、椎間板ヘルニアと診断されたこと、同外科には仕事をしながら通院していたが、依然として針を束ねて腰に刺すような痛みがあったこと、そして、昭和五十七、八年頃、腰痛のため一か月位仕事を休んだこともあったこと、腰痛が生じるようになった初めの頃は、激痛が起こっても二、三日位で治っていたけれども、次第に治るのに時間がかかるようになり、一か月位かかるようになったこと、それから後も徐々に痛みが出てきていたところ、昭和六〇年一月一七日頃、左足の感覚がなくなって自動車の運転が出来なくなり、階段の昇降が不自由となり、便所の後始末も困難になり、同日頃以降は仕事を休んでいること、同月二二日、腰痛、左下肢の放散痛及び麻痺を訴えて友和クリニックで医師宇土博の診察を受け、その時、ピアノ運搬中に腰をひねって発病したと説明したこと、そして、同日から同クリニックにほぼ一週間に二、三回の割合で通院して同医師の治療を受けていること、その治療内容は、針治療、物療、運動療法、薬物療法であることが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

そして、《証拠省略》を総合すると、原告の右認定の傷害は、超重量物である平均二三〇キログラムのピアノを二人で人力運搬するという被告の業務であるピアノ運搬作業に、前記二認定のとおりの態様で一〇年間以上継続して従事したことによって生じたものと認めるのが相当である。

四  請求原因4について検討するのに、《証拠省略》を総合すると、前記三認定のとおり受傷した原告の傷病名(昭和六二年八月現在のもの)は、腰椎捻挫による腰椎ヘルニアであり(ただし、腰椎捻挫というのは、発症の経緯からつけた診断名である。)、その症状は、腰痛、左下肢の痛みがあり、雨天時には、座位、前傾、中腰及び長時間の立位、歩行時に腰痛や左下肢の痛みが増悪するというものであること、右障害の影響により、長時間歩行、走行、階段の昇降等が困難であり、また、重量物(約二〇キログラム以上の物)の運搬は極度に制限されるため、一般事務系の軽作業以外は就労不可能であること、そして、根刺激症状に伴う左下肢の障害は今後とも残存する可能性があり、今後とも重量物取扱い等の現職復帰は困難と考えられることが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

ところで、証人宇土博の証言中には、同証人の証言時である昭和六三年五月二四日の時点では、原告は友和クリニックに通院して医師宇土博の治療を受けており、まだ原告の症状は固定したとは言えない旨の証言部分があり、原告本人尋問の結果中にも、現在(昭和六三年九月六日時点)も通院しておりそのため現実に良くなっていると感じるとの供述部分があるけれども、他方、同証人の証言中には、同証人が甲第一号証の診断書を作成した昭和六二年八月から右証言時である昭和六三年五月二四日までに、原告の症状には大きな変化はみられない旨、今後の治療についても、腰椎ヘルニアそのものの症状は治らずに残存することは認めたうえで、治療効果すなわち症状改善の範囲は、腹筋や背筋の強化による症状の軽減でしかない旨の各証言部分があることが認められる。そして、同証人の証言を総合して理解するとともに、同証人の証言後、本件口頭弁論終結時である平成元年六月二〇日までの間に既に一年一か月近く経過しており、その間も原告は治療を継続して受けてきたことをも合わせ考えると、原告の症状は、原告主張の昭和六二年八月三日頃固定したものとは認め難いが、遅くとも弁論終結時までには固定したものと認めて差し支えないと考えられ、その固定して残存する障害の内容も、根本においては前記認定と変わらないものと認めるのが相当である。

そして、右後遺障害の部位、程度から判断すると、右後遺障害は、労働災害身体障害等級表九級七号の二所定の「神経系統の機能又は精神に障害を残し服することができる労務が相当な程度に制限されるもの」に該当するものと認められ、右障害のため、原告は、従前のピアノ運搬の仕事には従事することができなくなったけれども、通常の事務の仕事ならば余り不自由なく行うことができると考えられることなどの事情を総合すると、原告は、右症状固定日以降五年間にわたり、その労働能力の三五パーセントを喪失したものと認めるのが相当である。

もっとも、被告は、右後遺障害の発生には、原告の年齢等の要因も加わっているとして、被告の業務との間に全面的な因果関係は存しない旨主張するけれども、原告は、昭和一〇年二月九日生まれの男性である(この点は弁論の全趣旨から明らかである。)ところ、前掲甲第一号証、証人宇土博の証言によれば、レントゲン検査の結果により原告に認められる変形性脊椎症(腰椎第一ないし第四に骨棘軽度から中等度増殖)についていえば、加齢現象に関しては、通常六〇歳位の段階で出てくるものを加齢変化と呼んでいることが認められる(右認定を覆すに足りる証拠はない。)から、昭和六〇年当時で未だ五〇歳の原告の症状については、被告の右主張は採用することができない(そもそも、同証言によれば、骨棘増殖は、主要には、非常な重量物を取り扱うために重量物による圧力が腰椎にかかり、そのため腰椎の周辺で炎症を起こし、その部位に骨が形成されるというものであるところ、原告に認められる変形性脊椎症は、神経を刺激する部位には骨棘が形成されていないのであって、腰痛の原因である腰椎ヘルニアとは直接は関係がないことが認められるから、右主張自体意味のないものである。)。

五  原告の前記後遺障害について、被告に責任があるか否か(請求原因5)について検討する。

1  使用者は、信義則上、労働契約に付随する義務として、労働者に対し、業務の執行に当たり、その生命及び健康に危険を生じないように具体的状況に応じて配慮すべきいわゆる安全配慮義務を負っているものと解するのが相当である。そこで、被告の負うべき安全配慮義務の具体的内容について検討するのに、《証拠省略》によれば、労働省は、昭和四五年七月一〇日、基発第五〇三号をもって「重量物取扱い作業における腰痛の予防について」と題する通達を出し、右通達は、「人力を用いて重量物を直接取り扱う作業における腰痛予防のための作業管理を含む予防対策指針を別紙のとおり作成した」としていること、その別紙である「重量物取扱い作業における腰痛予防対策指針」は、「Ⅰ作業管理」として、「1省力化」では、そのうち(2)重量物取扱い作業の自動化が著しく困難な場合においては、適切な装置、器具等を使用して部分的にでもできるだけ機械化をはかること。(3)人力による重量物取扱い作業が残される場合には、作業速度及び取扱い物の重量を調整する措置を講ずるなど作業者に過度の負担がかからないようにすること。とし、「2取扱い重量」では、満一八歳以上の男子労働者が人力のみにより取り扱う重量は五五キログラム以下になるよう努めること。五五キログラムをこえる重量物を取り扱う場合には二人以上で行うように努め、その場合各々の労働者に重量が均一にかかるようにすること、とし。「5取扱い時間」では、(1)取り扱う物の重量、取扱いの頻度、運搬距離、運搬速度等作業の実態に応じ、休息又は他の軽作業と組み合わせるなどして、重量物取扱い時間を適正にすること。(2)単位時間内における取扱い量を、労働者の過度の負担とならないよう適切に定めること。とし、「Ⅱ健康管理」として、「1健康診断」では、常時、重量物取扱い作業に従事する労働者については、当該作業に配置する前及び六か月以内ごとに一回、次の項目について健康診断を行うこと。ただし、(5)の検査については、当該作業に配置する前及びその後三年以内ごとに一回実施すれば足りること。として、(1)問診(腰痛に関する病歴、経過)、(2)姿勢異常、代償性の変形、骨損傷に伴う変形、圧痛点等の有無の検査、(3)体重、握力、背筋力及び肺活量の測定、(4)運動機能検査(クラウス・ウェバー氏テスト、ステップテストその他)、(5)腰椎エックス線検査、を定め、「2健康診断の事後措置」では、前記1の健康診断において医師が適当でないと認めるものについては、重量物取扱い作業に就かせないか、当該作業の時間を短縮する等、健康保持のための適切な措置を講ずること。とし、「3予防体操」では、職場体操を実施すること。を各定めていることが認められる。

右通達は、行政的な取締規定に関連するものではあるけれども、その内容が基本的に労働者の安全と健康の確保の点にあることに鑑みると、使用者の労働者に対する私法上の安全配慮義務の内容を定める基準となるものと解すべきである。そして、労働基準法、労働安全衛生法、労働安全衛生規則、右通達の趣旨に基づき、被告は、右通達と同趣旨の安全配慮義務を負うものというべきであり、常に従業員の健康、安全のため適切な措置を講じ、職業性の疾病の発生ないしその増悪を防止すべき義務を負っているだけでなく、職業性の疾病に罹患していることが判明し又はそのことを予見し得べき従業員に対しては、疾病の病勢が増悪することのないように疾病の性質、程度に応じ速やかに就業の禁止又は制限等を行うことはもとより、場合によっては勤務又は担当職務の変更を行う等適切な措置を講ずべき注意義務を負っているものというべきである。

2  ところで、《証拠省略》中には、(一)被告における機械化に関して、被告においては、他のピアノ運送会社と比べると機械化は進んでおり、クレーン車は昭和五二年から、パワーゲートも昭和五六年からそれぞれ導入しており、ジープは昭和五一年の合併による被告の設立時既に導入されていた旨、(二)被告における健康管理に関して、昭和五四年頃、保険会社に腰痛予防の話をしてもらったことがある旨、昭和五十五、六年頃、原告が腰が痛いと言っていたので、職を変えるとか何か良い方法を考えたらどうかということを再三言った旨、被告は、従業員の健康については、作業が平均的になるように配車するとか毎週できるだけきちんと休めるようにするとかに留意していた旨、そして、昭和六〇年頃、労働基準監督署の指導を受け、腰痛体操に関する書類を壁に貼りつけて従業員に知らせるとともに、音楽をかけて腰痛体操をさせるように試みた旨、昭和六〇年までは昭和五四年と昭和五八年とに健康診断(もっとも、この健康診断は一般的なものにすぎず、前述した労働者の通達で指導されているようなものではない。)を受けさせ、昭和六〇年以降は毎年健康診断を受けさせている旨、以前は、何人かが腰が痛いので病院に行きたいと申し出たときは、早く帰らせていたが、段々とその人数が増えたため、業務に支障が生じるようになったので、被告において従業員に対し、きちんと休むか、定時まで働くかするよう指示したところ、被告と従業員との間で揉めたことがあった旨、昭和五九年か六〇年頃、労働基準局から、中途半端ではなく腰痛をきちんと治してから仕事に出させるようにとの指導を受けたので、それ以降は、被告も、従業員から病院に行きたい旨の申し出があれば、病院に行って治してから仕事に復帰させるような制度にしている旨の各供述部分がある。

しかし、被告における機械化導入の状況が右(一)の供述部分のとおりであるとしても、それにもかかわらず、現実の作業内容は、前記二の1ないし3で認定したとおりであって、原告の腰痛発生は被告の業務に起因することは明らかである。

また、右(二)の供述部分のうちの、昭和五十四、五年頃、原告が腰が痛いと言っていた時の被告代表者の発言内容については、被告代表者本人尋問の結果において、被告代表者自身、「職を変えたらどうかというのは、会社を辞めたらどうかという意味ですか」と尋ねられ、そういう意味ではない旨答えながら、被告の業務には軽作業は存在しないと述べるとともに、再度、右発言内容がどういう意味かと質問され、「ちょっとよく分かりませんが、私はそういうふうに言っていました」と供述しているくらいであるから、仮に、被告代表者が原告に対して右のような発言内容の指示を与えたとしても、その趣旨が明らかではなく、労働省の前記通達の趣旨に副うような仕事時間、取扱い量の適正化、職種変更等の適切な措置を講じたものとは到底認めることができない。右以外の供述部分(もっとも、原告発病後のものも多い。)については、仮にそのとおりとしても、前記認定の労働省の通達の趣旨に多少副うものではあるものの、未だ十分であるとは評価することができないばかりか、現に前記三、四認定のように障害が残っている原告に対して、具体的にどのような対策や措置を講じたものかが全く明らかではないから、この点からしても前述の安全配慮義務を尽くしたものとはいうことができない。

のみならず、《証拠省略》を総合すると、被告代表者は、その従業員らから、職場では腰痛で苦しむ者が多いため、ピアノ運搬は二人一組で行うのが原則であったのを、三人一組にして欲しいとの増員要求がなされたけれども、採算が合わないとしてこれを受け入れなかったばかりか、逆に、腰痛が出るのは仕事が体質に合わないのだから、会社を辞めた方が良いというようなことまで発言したことがあること、被告においては、腰痛の予防のための、労働省の前記通達の趣旨に副うような定期的な健康診断は昭和六〇年までは実施されたことがなく、腰痛が出た従業員につき、医師の診察を受けさせたうえ、医師によって健康管理をしてもらうということもなく、腰痛のある従業員は自分で医師の診察を受けるしかないという状況であったこと、原告は、昭和六二年一月一八日頃、医師宇土博から軽作業ならしても良いと指示されたところ、被告の業務には軽作業がないため、同年九月一七日頃、出向の形で被告以外の会社の軽作業に従事したい旨被告代表者に申し込んだが、被告代表者から拒否されたため、やむをえず休業状態を継続していることが認められる(この認定に反する被告代表者本人尋問の結果の一部は信用することができない。)のであって、被告が前述の安全配慮義務を尽くしたものとは到底認めることができない。

3  さらに、具体的に安全配慮義務違反について見てみるのに、前記二認定の原告が従事してきたピアノ搬送の業務内容や前記三、四認定の原告の治療経過等に照らし、《証拠省略》をも合わせ考えると、被告におけるピアノ運送の仕事は、対象物の重量が余りにも大きく、運搬時の姿勢等に十分留意しても、なお腰痛が発生しやすい職種であるから、適切な健康診断と組み合わせて、予防対策等を講じるべきであるし、一日当たり平均して六、七台のピアノを運搬するという仕事内容は過重というべきであるから、その半分程度に仕事量を減らすべきであった、また、原告は三回腰椎捻挫を繰り返しているところ、腰部捻挫の段階で適切な措置が取られなかったため、症状が慢性化し、中途半端に治った段階で職場復帰し、また再発するという繰返しのため現在まで治療が長引いてきたのであって、腰部捻挫、すなわち筋肉性の腰痛の段階(これが進行すると、椎間板が破裂した状態の腰椎ヘルニアとなり、更に腰椎の変形にまで進展する。)で医師の十分な治療を受けさせるべきであったし、そうしておれば、今回の原告の症状も早く固定し、また、後遺障害が残るような事態には立ち至らなかったであろうと認められるのに、前述のとおり、被告は、そのような措置を講じなかった。

4  以上のとおり、被告が労働省の通達を遵守し、腰痛予防のために定期的な健康診断を実施するか、また、現実に生じた腰痛を訴えて原告が診察を受けた場合にはその医師の診断を尊重し、その各結果を受けて、適切な治療の機会を確保するとともに、作業量、作業時間の軽減、職種の変更等の的確な措置を講じておれば、原告が現在のような後遺障害に苦しむことはなかったということができるから、原告の障害は、被告の行為に起因することは明らかであり、被告は、原告に対し、労働契約上の債務不履行責任に基づき、又は、不法行為責任に基づき、原告の被った損害を賠償する義務を負うべきである。

六  そこで、原告の被った損害(請求原因6)について検討する。

1  逸失利益 五八五万〇三八八円

《証拠省略》によれば、原告は、被告の従業員として勤務することによって、昭和五九年七月から同年一二月までの給料として合計一五六万七一九九円の収入を得るとともに、同年一二月の賞与として三四万七九四七円の収入を得たこと、そして、当時、賞与は、夏と冬とで同額の支給を得ていたことが認められ、右認定に反する証拠はない。そうすると、原告の一か月当たりの収入は、右の合計額の六分の一である三一万九一九一円となるところ、前記四で述べたとおり、原告は、前記後遺障害により、症状固定日である平成元年六月二〇日以降将来五年間にわたりその労働能力の三五パーセントを喪失したものと認めるのが相当であるから、原告の将来の逸失利益を年別のホフマン式計算法により年五分の割合による中間利益を控除して算定すると、五八五万〇三八八円となる。

(算式)

三一万九一九一円×一二×〇・三五×四・三六四=五八五万〇三八八円

2  慰謝料 五五〇万円

前記四で述べたとおり、原告は、前記後遺障害のため、腰痛、左下肢の痛みによって日常生活を満足に送れない状態になり、昭和六〇年一月から現在まで週二、三回の割合で通院治療を受けてきており、服することができる労務が相当な程度に制限される状態である。これらの事情を総合すると、原告の精神的、肉体的苦痛を慰藉するには、五五〇万円をもって相当と考える。

七  次に、被告の過失相殺の抗弁について検討する。

1  被告は、原告が昭和五四年一月以降クレーン車のオペレーター専従であったから、ピアノ運搬に従事する必要はなかった旨主張するところ、原告が昭和五十四、五年から途中約二年間を除きクレーン車のオペレーター専従であったことは前記認定のとおりであるけれども、前記二の3において認定したとおり、オペレーター専従であっても当然に他の同僚と同様にピアノを担ぐのが現実であり、同僚からもそのように期待され、そうすることによって予定された作業がこなされていたのであるから、原告が運搬現場でピアノを担いだことをもって過失とまでは評価することはできない。

2  また、被告は、原告に対し、腰痛を完全に治してから職場復帰するよう指導していた旨主張するけれども、右主張にかかる事実を認めるに足りる証拠はないから、右主張は失当である(前記五の2において被告代表者本人尋問の結果を引用した際、その(二)の箇所で、被告代表者の昭和五十四、五年頃の発言に触れたが、右発言内容をもって右主張のように理解することができないことは、前述したとおりである。)。

3  そして、他に過失相殺をなすべき程の原告の過失を認めるに足りる証拠はないから、右抗弁は失当である。

八  よって、原告は、被告に対し、債務不履行による損害賠償請求権に基づき、一一三五万〇三八八円及びこれに対する昭和六二年九月二二日(訴状送達の日の翌日が右の日であることは、記録上明らかである。)から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める権利を有するから、本訴請求は右の限度において理由があるから認容し、その余は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担について民訴法八九条、九二条を、仮執行の宣言について同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 山﨑宏)

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